フラの歴史
フラの起源については諸説ある。
ある伝説によれば、女神ラカがモロカイ島の聖地カアナにフラを生んだという。
モロカイ島では毎年5月にフラの誕生を祝い、
「踊りの中心」を意味するカフラピコという祭りが開かれている。
別の伝説では、ヒイアカが姉の火山の女神ペレの荒い気性をなだめるために踊ったのが始まりだという。
どちらにしろ、古代のハワイは無文字社会であった為、
フラの正確な起源は解らない。 ただ、ハワイ人がマルケサス諸島や
タヒチから渡って来たことは確かであり、フラもまたこれらの土地から
ポリネシア人が持ってきた歌舞音曲がハワイにおいて発展したものと考えるのが自然である。
ハワイが西洋と接触する1778年以前からのフラは宗教儀式と緊密に結びついたものであり、
パフと呼ばれるサメ皮の太鼓の伴奏で行われるダンスは、
神に捧げられる最も神聖なものである。
1820年にハワイにやってきたプロテスタントのアメリカ人宣教師たちは、
フラを異教の踊りとして断罪し、禁止している。ハワイのダンスは、
伝統芸術を奨励したカラカウア王の時代に復活した。
このとき詩歌や衣装を新たに組み合わせて作られたのがフラクイと呼ばれる新しい形式である。
フラクイでは神聖なパフは避けられ、代わりに伝統的な楽器であるイプ(ヒョウタン)が
結びつけられた。 しかしながらフラの儀式的・祈祷的側面は20世紀に入るまで守られており、
フラの練習と実演は、女神ラカに捧げるものであった。
その後フラは観光やハリウッド映画の影響で大きな変貌を遂げたが、1970年代以降、
ハワイでは再び古代のハワイ文化のありようへの関心が高まっており
(ハワイアン・ルネッサンス)、その一環としてフラ・カヒコに真摯に取り組む者が増えた。
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